- 1 サンフランシスコの建物と施設
- 1.0.1 トランス アメリカ ピラミッド Trans America Pramid
- 1.0.2 コイトタワー Coit Tower
- 1.0.3 セラモンテ・センター Serramonte Shopping Center
- 1.0.4 キャンドルスティック・パーク Candlestick Park
- 1.0.5 セラモンテ・センター Serramonte Shopping Center
- 1.0.6 バンクオブアメリカ Bank of America
- 1.0.7 クリフハウス Cliff House
- 1.0.8 シールロック Seal Rocks
- 1.0.9 モスコーニ・センター Moscone Convention Center
- 1.0.10 AT&Tパーク AT&T Park
- 1.0.11 デービス・シンフォニーホール Louise M. Davis Symphony Hall
- 1.0.12 オペラハウス Opera House
- 1.0.13 サンフランシスコ・ウォーメモリアル Veterans Memorial
- 1.0.14 サンフランシスコ市庁舎 City Hall
- 1.0.15 サンフランシスコ公共図書館 Public Library
- 1.1 その他
- 2 サンフランシスコ(アメリカ)旅行をより楽しむために、SOTO TABI(ソトタビ)英会話オンラインレッスン
サンフランシスコの建物と施設
トランス アメリカ ピラミッド Trans America Pramid
1972年完成。48階建て、高さ約259mで、サンフランシスコで一番高いシンボルタワーです。Trans America Corporationの所有(本店)で1928年、モンゴメリー通りにあった小さな銀行から出発し、現在は一大総合企業(コングロマリット)としてその名を知られています。ちなみに、写真の手前にある緑色の趣のある建物はコロンバス・タワーです。1906年の大地震をまたいで建てられました。当時サンフランシスコの政界を裏から操り、裏金をむしり取ることで悪名高かった「ボス」のエイブ・ルーフ所有のビルで、中華街と歓楽街に接するこの界隈には珍しい建物です。トランスアメリカピラミッドとのコラボレーションがユニークですね。
コイトタワー Coit Tower
1933年10月8日完成。高さ約54m、設計はArther Brown JR.(City Hall設計者)です。こうやって写真を見ると小高い丘に建って、海に囲まれ、魔女の宅急便のような雰囲気のする街ですね。
リリー・ヒッチコック・コイト Lillie Hitchcock Coit(1843-1929)、1851年Gold Rushの熱気にかられた両親とともにサンフランシスコに移住してきた南部出身者で、小さいころから火事を追いかけるのが大好きでした。趣味が高じてとうとう当時のボランティア消防隊の名誉会員となり、実際にヘルメットをかぶり荒くれ男たちと消火活動にあたったりした女性勇者です。
1929年に亡くなる前、自分がこよなく愛したサンフランシスコの為に、何か市のためになる美しい物を残してほしいと当時の金額で10万ドルを市に寄付しました。市では当初どのようにお金を使うべきか色々議論しましたが、結局は故人が生涯を通して消火活動及びに消防夫をこよなく愛したことから、消防ホースのノズルを型取った展望台を作ることに決めて出来たのがこのコイトタワーです。
サンフランシスコはバスケットボールと野球が人気ですが、ウォリアーズが優勝した時は、このコイトタワーがチームカラーの青と黄色にライトアップされて、とても綺麗でしたよ!
セラモンテ・センター Serramonte Shopping Center
1968年9月完成。総面積78エーカー(95,000坪)でその内、駐車場が51エーカー(62,000坪)ほどあり、駐車台数にして約6400台を収容できます。店舗数約140点、ベイエリアにはショッピングセンターがたくさんできていますが、その中でも大型ショッピングセンターの幕開け時代の先駆者です。
キャンドルスティック・パーク Candlestick Park
かつてアメリカンフットボールのサンフランシスコersの本拠地でした。収容人数は65000人、1959年にMLBサンフランシスコ・ジャイアンツのメイン球場として使用され、1964年には村上雅則がメジャーリーグ初の日本人として好投し、そして1995年5月2日に野茂英雄が大リーグでデビューしたのもこの球場でした。
しかし、この球場は埋め立て地に立地されたことから、潮の干満によってグラウンドの硬さが時間によって変わり老朽も進んだため、ジャイアンツは1999年を最後にAT&Tパークへ本拠地を移したのでした。
現在は、urban outlet 都市型アウトレットとして建設が進んでおり、計画では2017年までに完成予定とのことです。グッチやアルマーニなどハイブランド系のアウトレットモールを目指しているそうです。映画館なども併設し、サンノゼのサンタナ・ロウのようになるのではないでしょうか。色んな歴史が刻まれたスタジアムが全くなくなってしまうのは惜しまれますが、新しい都市計画が上手くいくといいですね。
セラモンテ・センター Serramonte Shopping Center
1968年9月完成。総面積78エーカー(95,000坪)でその内、駐車場が51エーカー(62,000坪)ほどあり、駐車台数にして約6400台を収容できます。店舗数約140点、ベイエリアにはショッピングセンターがたくさんできていますが、その中でも大型ショッピングセンターの幕開け時代の先駆者です。
バンクオブアメリカ Bank of America
1969年完成。52階建て、高さ約237m、Bank of Americaの旧本店ビルです。45基のエレベーターで1日7000人以上のworkerを乗降させています。1904年Bank of Italyとしてサンフランシスコに発足し、1906年の大地震で多額の復興資金を供給したことで、ビジネスの拡張を成功させてます。ポール・ニューマンとスティーブ・マックイーン主演の映画「タワーリング・インフェルノ」はこのBank of Americaを主要地としています。
Bank of Americaの広場には、黒御影石で作られた彫刻作品がありますが、日本人彫刻家のMasayuki Nagare氏の作品で「Banker’s Heart(銀行家の魂)」と呼ばれtいます。
クリフハウス Cliff House
太平洋の崖の上に面した大人気のレストランです。1863年にSam Brannanはサンフランシスコで一番先にお金をばら撒いた人物で、本人はSutter砦の近くで金物屋をやりぼろ儲けをしました。カリフォルニアスター(サンフランシスコで最初に発行された新聞)の持ち主でもあります。Cliff Houseは彼によって建てられましたが、その後、別の金持ちAdlph Sutroによって買収され、上流社会の社交場になっていました。1906年の大地震に耐え残りましたが、1907年に大火に遭い消滅し、建物の跡だけが海岸に残っています。現在のCliff Houseは三軒目のものです。
Cliff House⇒https://cliffhouse.com/
シールロック Seal Rocks
寒流にのってアラスカ方面からアザラシがサンフランシスコの観光に来ている場所です。6-7月にかけて交配のため、25マイル南のアニョヌエボ(Ano Nuebo)島に行く以外は1年中、その姿を見る事ができます。コスタノアン・インディアンの伝説によると、昔、彼らが他種族に占領されそうになった時、土地神が総長の双子の娘の前に現れ、魔法のアヤメの花を授けたそうです。そして、3枚の花びらが1枚ずつ彼女たちの希望をかなえてくれました。敵のインディアンが海から攻めてきたので、娘たちはまず最初にとても濃い霧を希望しました。次に大嵐を引き起こし、敵の船を沈没させました。ところが、敵のインディアンは泳いで岸に向かってきたので、娘たちは最後の花びらを使って彼らをアザラシに変えてしまったのだそうです。
モスコーニ・センター Moscone Convention Center
ハワードストリートをまたぐ橋と庭でつながっているサンフランシスコ随一の大型展示会場です。約185000㎡(56200坪)の敷地内に、展示スペースだけでも66000㎡(約20000坪)、100室以上もの会議室があります。
AT&Tパーク AT&T Park
2000年に新しく完成したサンフランシスコ・ジャイアンツの本拠地です。収容人数約4万人。この球場の最大の名物と言えば、スプラッシュ・ヒットです。ライト後方の入り江に飛び込む特大ホームランのことで、ボンズの専売特許となっています。正面ゲートにある大きな像は、ジャイアンツで60年代にプレーしたウィリー・メイズです。球場で食べたホットドッグがめちゃくちゃ美味しかったです。
デービス・シンフォニーホール Louise M. Davis Symphony Hall
1980年9月完成、総工費は2750万ドルと言われています。収容人数は3000人でシーズンは9月から3月。Louise M. Davisは芸術の保護者として知られているが、Southern Pacific Railwayの社長夫人でSymphony Hall建設に当たり500万ドルを市に寄贈し、彼女の功績をたたえてLouise M. David Hallと名づけられました。かつて日本人では八代亜紀がここで公演をしました。
オペラハウス Opera House
1932年完成。1945年には50カ国が集まり、国際連合憲章が調印されました。1951年には時の首相、吉田茂が全権大使とし、池田勇人随行のもと日米講和条約を調印し、歴史的な役割を果たしました。オペラは9月お中旬から約6週間ほど開演されます。かつてサンフランシスコSymphonyの指揮者であった小沢征爾(Seiji Ozawa)もこのオペラハウスで活躍していました。アメリカで唯一の市立のOpera Houseです。
サンフランシスコ・ウォーメモリアル Veterans Memorial
1932年完成。在郷軍人会館として特に第一次世界大戦とそれ以前の戦争に参加した差フランシスコ在住の軍人に会合・憩いの場として作られたものです。
サンフランシスコ市庁舎 City Hall
1915年完成。旧市庁舎は1906年に大地震で見るも無惨に破壊されてしまいました。現市庁舎はその後に再建されたものです。フレンチルネッサンスとボザール様式で設計はJohn Bakewell Jr.とArthur Brown Jr.です。ドームの高さはワシントンD.C.の国会議事堂より5m程高く世界で5番目(約94m)です。1989年のサンフランシスコ地震でダメージを受けたので1995年から耐震性能の強化を計る工事が行われました。内装も豪華で結婚式もよく行われています。
サンフランシスコ公共図書館 Public Library
市立図書館です。1917年会館(現在はアジア美術館のある場所)です。市内に30の支館を持ち170万冊の在庫を誇ります。1996年に1億34004万ドルをかけて新しく会館しました。5階建の建物は自然光を取り入れ、半円型の中庭を取り囲むように設計されています。
その他
お墓
280号線の右側の白い標識は、戦没者のお墓でGoden Gate National Cemeteryと言います。毎年5月の最終月曜日のMemorial Day(戦没者慰霊祭)には白い墓標一つ一つに星条旗の小旗がそえられます。
Colma
South San Francisco The Industrial Cityの文字がある山(San Bruno Mountain 高さ約400m)の280号線側のふもとがColmaという小さな市で、市全体がお墓になっています。サンフランシスコにはPresidioの戦没者のお墓以外は墓がないので、サンフランシスコ住民はここを永眠の場としています。日本人墓地もこのColmaの中心部にあり、日本語で書かれた石塔が建てられています。日本からの歴代のサンフランシスコ総領事の最初の仕事は、この日本人墓地のお墓参りから始まります。
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